

さぁ、深呼吸。
心の声に耳をすまそう

こんにちは、モモです。(@_momo.healing_)
前回の記事で「わたし、いろんなことをものすごく我慢していたんだ」と気づいたとき、ひとつの仮説が浮かびました。
最近、ケーキやドーナツが甘すぎて食べられなくなったり、小麦に敏感に反応したり。
身体がエネルギーにとても正直になってきた。
もしかしてこれは、もう無理して我慢しなくてよくなったから?
たくさんの“我慢”と“抑圧”のなかで、わたしは自分の本当の声を聴けなくなっていたのかもしれない。
でも、本来の自分を思い出して、生きづらさと向き合ってきたことで、心の奥にある本音に、ちゃんと気づけるようになった。
すると、不思議なことが起きた。
身体の“エネルギーの感度”が上がった。
身体の声にも、身体を通した心の声にも、アンテナが向き始めた。
そして身体は、とても正直に“違和感”を教えてくれる。
「心地よいほうを選ぼうね」
「わたしが本当に欲しいのは、これじゃないよ」
「甘すぎるものは、もう必要ないよ」
「小麦粉はちょっと重いかも、優しくして」
──そうやって、身体と感情のつながりが強化された。
もしや、アレキシサイミア、アレキシソミアから脱却したのかな。
「脳は身体の感覚を解釈し、それを“感情”として分類する」
認定心理士のセミナーで学んだこの言葉を思い出した。
つまり、身体と心は切り離せない。
むかし読んだ本にも、
“肉体の痛みと精神的ダメージは、脳の同じ部分が反応する”
と書いてあった。
つまり──
身体と心は、ほんとうにひとつ。
アレキシサイミア(失感情)も、アレキシソミア(失体感)も、“感じる機能が壊れている”わけじゃない。
感覚を掴んで言葉にできなかったから。
わたしは長いあいだ、
言葉にできない気持ちを表現する手段として、食べ物だけに頼っていた。
一人暮らしで過食していたころ。
頼れる人がいなかった。
頼り方も、わからなかった。
安心できる居場所もなかった。
感覚にフタをして、我慢を積み重ね、
自分の気持ちを言葉にする力が育たなかったから。
不安も、寂しさも、疲れも、扱い方がわからない。
ただ「食べる」ことで、一瞬だけ満たされる気がしたの。
日本語は話せるし、会話もできる。
でもそれは“本心”ではなく、他人の言葉をコピーして再生しているだけだった。
だから、限界を超えていることにも、苦しんでいることにも気づけなかった。

それでも、身体だけは必死にSOSを出してくれていた。
“過食”というかたちで。
ところが、当時のわたしは、そのSOSを
今度は“拒食”で抑えようとしていた。
過食も拒食も、
理性を保つための必死の方法だった。
心の空白を埋めるために、食べ物だけが頼りだった。
でも本当に欲しかったのは――
わかってもらいたい気持ち。
そばにいてほしい想い。
安心して深呼吸できる場所。
「がんばらなくていいよ」と言ってくれる誰か。
あのころのわたしは、
本当によくがんばっていた。
いまは、頼れるものがたくさんある。
心の声を聴く練習を重ねた。
浮かんでくる本音を、丸ごと受け止め続けた。
大切な人に本音を伝える勇気も出した。
もういらない思い込みを手放した。
すると気づいた。
家族も、友達も、恋人も、職場の人も、
そして見えない存在も。
ずっと前から、愛されて守られていた。
愛と安心が、ちゃんと見えるようになった。
10年前のわたしが聞いたら、
「え!?そんな未来、想像できない!」
と驚くだろう世界に、いまわたしは立っている。
頼ることを恐れずに「助けて」と言える。
差し伸べられた手を、素直に「ありがとう」と受け取れる。
わたしの欲望は、もう“制限”のかたちじゃなくていい。
“自由”を選んでいい。
食べることに頼らなくてもいい。
埋めるためじゃなく、感じるために食べられる。
心が震えるほうへ。
笑顔がこぼれるほうへ。
身体が「こっちだよ」と教えてくれるほうへ。
食べ物じゃなくても、
言葉や自然や静かな時間、
そして“存在を受け止めてくれる誰か”が
心の栄養になっていく。
やさしい言葉。
安心できる空間。
大好きな人のぬくもり。
夢中になれる時間。
見えない存在とのつながり。
それは、わたしをふんわり包む“心のごはん”。
これからは、
もっともっと、身体と心の声を大切にする。
ちゃんと聴くよ。
ちゃんと応えるよ。
もう、ひとりでがんばらなくていいからね。
「まだ大丈夫。もう少し、がんばれる。」
そんなふうに日々を支えるあなたにこそ
ほっと一息つける時間を
過ごしてほしいなと願っています。
