

さぁ、深呼吸。
心の声に耳をすまそう

こんにちは、モモです。(@_momo.healing_)
人の気持ちを読み、合わせ、間違えないように生きてきた。
そんな生き方は一見うまくいっているようで、気づけば自分の心だけが置き去りになっていました。
この記事は、わたしが“自分に戻っていくまで”の、小さくて静かな道のりの記録です。
どこか重なるところがあれば、必要なところだけ、拾ってみてくださいね。
わたしは幼稚園のころから、友達と遊ぶのが大好きで、いつも人に囲まれていました。
でも高校に進学したとき、ふと、しっくりこない感覚が生まれました。
友達は仲良くしてくれて、誕生日を祝ってくれたり、お泊りしたり、放課後に遊んだり。
表面上は何も困っていないのに、心の奥ではずっと、エネルギーを使って合わせにいっている感じがしていました。
シンプルに、友達が好きなものに興味を持てなかっただけなのに。
みんなが仲良くしてくれるから、「この子とは合わない」なんて考える余地もなかったんです。
中学生のころは、「嫌いな人がいない!みんな大好き!」と本気で思っていたから、性格的に合わない人がいるなんて、考えたこともありませんでした。

部活では、怒鳴る顧問が怖くて、練習のたびに過呼吸。
家に帰れば、両親は冷戦状態。ピリピリした空気の中で、部屋に引きこもり、ずーっと泣いていました。
泣きながら何度も聴いていたのが、浜崎あゆみさんの「A song for xx」。
大人と子どものあいだで揺れる気持ちや、居場所がなくて、強がるしかなかった孤独が歌われていて。歌詞の一つひとつが、わたしの心を代弁してくれているようでした。
いつから大人になる
いつまで子供でいいの
どこから走ってきて
ねえどこまで走るの
居場所がなかった 見つからなかった
いつも強い子だねって言われ続けた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな風に周りが言えば言うほどに
笑うことさえ苦痛になってた
一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた
心療内科では適応障害と診断され、学校も遅刻や早退が増えました。
授業に遅刻すると、教室に入るのが恥ずかしくて、図書室のベランダから校庭をぼんやり眺める日も。
体育の授業で走っている人たちを見ながら、
「どんなことを考えているんだろう」そんなふうにぼんやり思っていたのを覚えています。
でも、この経験が、わたしに気づきをくれました。
「人間のことを知りたい」——そう思って心理学部に進学したんです。
大学では、同じ興味を持つ友達に囲まれて。通院も終了。
勉強にバイト、やりたいことに夢中になって、学生生活はバラ色でした。
ところが、社会に出ると、また同じような“適応できない感じ”にぶつかりました。
友達と仲良くなること
誰かと深くつながること
仕事でうまくやること
みんな当たり前にできることが、どうしても難しかった。(できるけど、めちゃくちゃエネルギー使うから続かない)
そんなときに出会ったのが、北野唯我さんの『分断を生むエジソン』でした。読んでいて涙が止まらなくて、胸の奥がぎゅっと掴まれました。
君は人間の愛のために戦った。だが、その肝心な、人間についてまだ何も知らない。
分断を生むエジソン
確かに人間を愛していた。だけどそれは概念としての愛だった。
分断を生むエジソン
そうか、わたしは、人を理解しようとしているつもりで、頭のなかで分析しているだけだった。生身の人間を見ていなかった。
心は閉ざしたまま、相手の意図を読み、間違えないように振舞うことに必死だった。そこに【相手】はいませんでした。
いるのは、わたしの頭のなかだけ。
どこで聞いたか忘れたけれど、
「人は10代で失ったものを、20代以降に取り戻すように生きる」
そんな言葉があります。
わたしは10代で失った“人とのつながり”と“置き去りにした自分”を、ずっと探していたのかもしれません。
長い話にお付き合いくださって、ありがとうございます。書いてみたら、思っていたより、ずっと深い話になりました。
これはそのうち消すかもしれない😂
「まだ大丈夫。もう少し、がんばれる。」
そんなふうに日々を支えるあなたにこそ
ほっと一息つける時間を
過ごしてほしいなと願っています。