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心の空白を埋めるために、食べ物だけが頼りだった自分から卒業しよう

これまでの話

摂食障害ピーク時の映像が脳内再生されたので、3回ほど当時の食べ方を再現して、感情・思考を追体験しました。

その結果、気づいたことがこちら↓(各記事にリンクします)

さらに同時進行で、「いま、心は何を望んでるの?」と常に問いかけるようにして、頭に何か浮かんだら0.3秒でGO!という直観力トレーニングをしております。

関連記事:やわらかく、しなやかに、自然な流れで望みが叶う♡0.3秒の直観力トレーニング

一連の気づきレポは、今回が最後になると思います!

「いろんなこと、ものすごく我慢していた」と気づいたとき、ある仮設が立ちました。

さいきんケーキやドーナツが甘すぎて食べられなくなったり、小麦に反応したり、身体がエネルギーに敏感に反応するようになったのは、いろんなこと我慢する必要がなくなったから!?

モモ

かなり濃厚な説だよ!

身体と心のつながりが強化された!

わたしの身体は、たくさんの”我慢”と”抑圧”のなかで、自分の本当の声が聴こえない状態だったのかもしれない。でも、本来の自分を思い出して、生きづらさを克服したら、心の奥の奥の奥の本音にちゃんと気づけるようになった。

だから身体の”身体のエネルギーの感度”が上がって、身体の声と、身体を通した心の声にもアンテナが向き始めた。そして身体はエネルギーの”違和感”をすごく正直に伝えてくれる。

「もう無理して食べなくていいよ」

「心地よい方を選ぼうね」

「わたしがほんとうに欲しいのは、コレじゃないんだよ」

「甘すぎるものは、もう必要ないよ」

「小麦粉はちょっと重いかも、優しくして」

「むかしは食べることで心の隙間を埋めてたけど、いまは愛で満たされているから、そんなに必要ないよ」

こうして身体と感情のつながりが強化された!!

モモ

わーい🙌
アレキシサイミア&アレキシソミアから脱却したのか!!

なるほど、認定心理士のセミナーで”感情の心理構成論”を学んだとき、「脳は身体の感覚を解釈し、それを感情としてカテゴリー化する」と先生が言ってた。

そういえば、むかし読んだ本では、「脳は、肉体が負傷したときと、精神的にダメージを受けたとき、同じ部分が反応する」って書いてあった。

まさに身体と心はつながっている!!

補足

アレキシサイミア(失感情症)とは、感情の言語化に困難が生じる状態のこと。アレキシソミア(失体感症)は、身体症状の言語化に困難が生じる状態のこと。

どちらも感じる機能そのものを失っているわけではないよ。

心の空白を埋めるために、食べ物だけが頼りだった

一人暮らしで過食していたときは、食べ物しか頼れなかった。

感覚にフタをして、いろんなこと我慢していたら、言葉を失ってしまったのね。日本語喋るし、会話もできるけど、自分の本心ではなく、他人の言葉をコピーして再生しているだけ。

だから自分の気持ち、感覚、本音をキャッチする能力が育たず、血の通った生身の人間に相談できなくて、限界を超えていることも、苦しんでいることにも無自覚になってしまったの。

でも、身体だけが必死に”過食”というかたちでSOSを出し続けてくれた。ところが思考でガチガチになったわたしは、そのSOSを”拒食”で抑えようと必死だった。

過食も拒食も、食欲や食べ方をコントロールすることで、なんとか理性を保とうとしたんだね。そして心の空白を埋めるために、食べ物だけが頼りだった。

当時食べていた「過食用」の食べ物

頼れる人がいない。

頼り方がわからない。

安心できる居場所がない。

不安も、寂しさも、疲れも、扱い方がわからなくて、ただ「食べる」ことで、一瞬でも心が満たされる気がした。それは、わたしが一生懸命生きようとした証。

本当に欲しかったのは”食べ物”そのものじゃなくて

食べることに「寄りかかっていた」瞬間もあった。

食べ物は一瞬でも心の痛みを和らげてくれた。心の痛みを和らげるために、食べ物に頼るしかなかった。だからお腹がいっぱいになっても、空っぽな感覚は残ったまま、満たされなかった。

とっても不器用で、健気で可愛らしい。わたしはわたしを守りたかったのだと思う。苦しいなかでも、心の声を無視できなかったのかもしれない。

  • 心が苦しい食べたい
  • 寂しくて壊れそうなにかで埋めたい
  • 不安だから安心したいお腹を満たして落ち着きたい

本当に欲しかったのは”食べ物”そのものじゃなくて

  • わかってもらいたい気持ち
  • そばにいて欲しいという想い
  • 安心して深く呼吸ができる場所
  • 「がんばらなくてもいいよ」と言ってくれるだれか

当時は、いっぱい我慢して、だれにも頼らず努力して、まいにち戦っていたから。食べ物しか心を許せなかったんだよね。

でも、いまは違う。頼れるものがいっぱいある。

心の声に耳を傾けるトレーニングを積んだ。内側から浮かんでくる声を丸ごと受け止め続けた。自分の気持ちに正直に行動する努力もした。いちばん身近な人に本音をぶつけるチャレンジもした。不要になった考え方を手放してみた。

そしたら、家族、友達、恋人、上司、同僚、そして天使。ずっと前から、たくさん⁠愛されて守られていたことに気づいた。愛と安心が見えるようになったの。

欲望の表現方法を変えてもいい

もうひとりじゃない。10年前とは違う。きっと10年前、「ひとりでがんばらなきゃ」って思っていた、あのころの自分が聞いたら

10年前のモモ

え!?わたしが、そんな世界に行けるの?
まさか想像できない!
っていうか、ちょっと気持ち悪い(居心地悪いの意味)

って理解できないレベルで驚くだろうな。

10年前のモモ

大好きな人がいて、家族との関係も良好になって、
天使や地球の存在を感じられるようになって、
なにより、自分自身を信頼できる未来があるの・・・?

いまのモモ

あるんだよーーーー♡♡♡

頼ることを恐れずに、自分から「助けて」って手を差し出すことができる。救いの手を振り払わずに、素直に「ありがとう😊」って受け取ることができる。

食べることばかりにフォーカスしていたけど、もっと広く、直感のまま、欲望を満たすために過ごしてもいいのかも。

わたしの欲望は、表現のかたちを変える時期。もう”制限”じゃなくて”自由”を選べる。食べることばかりに頼らなくてもいい。何かを埋めるためじゃなく、感じるために食べることができる。

「ねばならない」じゃなくて「やりたいから」

「足りない」じゃなくて「今あるものから始める」

「どう見られるか」じゃなくて「どう感じたいか」

「正しさ」じゃなくて「心地よさ」

食べ物以外でも心の栄養になる、ふんわり包んでくれる”心のごはん”

心が震えるほうへ、笑顔がこぼれるほうへ、身体が「こっち!」って教えてくれるほうへ、歩いていく。食べ物じゃなくても、言葉や自然や静かな時間、そして”存在を受けとめてくれる誰か”が心の栄養になっていく。

そう、食べ物以外で心の栄養になる。わたしをふんわり包んでくれる”心のごはん”。

  • やさしい言葉
  • 安心できる空間
  • 愛する人とのぬくもり
  • 好きなことに夢中になる時間
  • 天使や見えない存在とのつながり
  • 自分自身との対話

食べ物以外でも、五感を使って愛や安心をちゃんと受け取ることができる。心が満たされる感覚は自分の内側で育んでいける。

身体の声が聞けないと思っていたけど、じつは身体の声を優先しすぎて心の声が置き去りになっていたかも。だって身体の声がわかりやすいから。お腹いっぱい、便秘、肌荒れ……本当に聞くべきは、心の声だった!

身体は心の代わりに一生懸命サインを出してくれていた。心の代弁者だった!心はずっと深いところで、何も言えずにずっと黙っていたのかもしれない。

疲れた…

寂しい…

悲しい…

好き!

嬉しい!

やってみたい!

これからは、もっともっと心の声を大事にするからね。