
ラフに生きよう、”わたし"のままで

ひとりじゃないよ みんなここにいるよ
一緒に楽しもうよ
2019年頃に公開した記事の再掲です
今日の午前中は健康診断で、久しぶりに出身高校の近くを通りました。
3年間通った駅から「部活の朝練辛かったな」とか「文化祭の後、あのカラオケで打ち上げしたな」とか、当時を思い出しつつ病院まで歩きました。
学校の前は通らなかったけど、14年ぶりに通学路を歩いて、やっと過去にできたような気がします。
わたしにとって高校時代は黒歴史。
生徒でギュウギュウの教室は閉塞感でいっぱいで、授業中ガマンできず床に座り込んでしまい、保健室に駆け込んだこともありました。
通っていた心療内科の薬は副作用が重く、朝起きるとソファから動けず遅刻して。登校したものの教室に入りづらく、4階にある図書室の通路から、ぼーっと空を眺めて時間を潰してました。
仲良しの友達はたくさんいて、気にかけてくれるので、ハブられたり、いじめられることもなかった。みんな心配してくれた。
そんな環境だからこそ。ひとりで行動したいけど、孤立するのも怖かった。
「このまま生きていかなきゃいけないのか…」
「友達といると楽しいけど、なんか無理してる気がする」
そんなことを考えていた気がします。
だけどね
大人になって月日が経つうちに、そんな記憶も実は勘違いだったのかも、と思うようになりました。
過去を悪者にして「かわいそうな子」と、大変だったアピールをしたいから、いつまでもそう思っているのでは?と。
最近とくに、過去に囚われているだけなのでは?と思うようになったんです。
いい加減、忘れなよ。いつまで、たった3年間のことに囚われてるの?被害者アピールしてるから、いつまで経っても、そこから抜け出せないんだよ。
心の中で呟くようになりました。
苦しかったし、大変だったのは事実。だけど、本当にそれだけ?本当に全部が全部、消したい過去なの?
楽しかった思い出、大切にしたい思い出も、なかったことにしてるだけじゃないの?
そんな疑問がグルグル・・・