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「なんで、ちょっとした我慢もできないの…」本当はものすごく我慢しているかもしれないよ

ヒーラー&メッセンジャーのモモです。

これまでの話

過食症ピーク時の映像が脳内再生され、リトル・モモ(インナーチャイルド)が「わたしだって好きに食べたい!」と暴れ出してから、リトル・モモ優先の生活をしてみようと思って、直観力トレーニングをしていました。

頭に何か浮かんだら、思考を挟まず0.3秒でGO!する。

その一環で、過食症ピーク時の映像がまた脳内再生されたので、少し不安になりながらも従ってみました。当時の行動をそのまま再現したところ、「お金を自由に使える楽しさ」を味わいたかったのだと気づいたのです。

自分のタイミングで好きなものが買えて、食べたいものを食べたいだけ食べられる。その現実を楽しみたい。

もちろん、当時は仕事、対人関係、家族関係、自己肯定感、自己認識、すべてがストレスフルで、心のバランスを取るために食事をコントロールしていた、っていう要因もありますが。それ以外にも、お金を使うことで物質的な豊かさを感じたい気持ちもあったんだな~って。


さて、今回は続きの話です。

過食症ピーク時の映像が脳内再生されて、当時を再現すること3回。これまでなら罪悪感でいっぱいで、乱れた食事を軌道修正しようと一生懸命になっていたのに、今回メンタルはずっとニュートラル。乱れるどころか、3回目の再現を終えたとき

ものすごく

いろんなこと我慢していたんだなぁ

って思ったの。

「ちょっとした我慢」ほんとうは”ちょっと”じゃなかった

一人暮らしをしていた20代に比べたら、だいぶマシになったけど。それでも、まだまだ我慢する習慣が染みついてたっぽい。(伸びしろたっぷり笑)

あまりにも当たり前すぎて、すごく無自覚に、本当の気持ちを閉じ込めて。自分以外の”ナニカ”を優先してた。無自覚すぎて、痛みに鈍感になりすぎて、本当はものすごい我慢しているのに、「ちょっとした我慢」だと思ってた。

  • わたしがちょっと我慢すれば
  • 今日くらい無理しても
  • そうはいっても、これだけやっちゃおう
  • これくらい、わたしがやらないと

そういう「ちょっとした我慢」、ほんとうは、ちょっとじゃなかった。

もしかしたら”ちょっとした”かもしれない。でも、積もり積もって心のなかに静かに蓄積されて、あるとき爆発する。で、すべてをリセットしたくなる。感情的に投げ出して、人間関係もギスギスする。

気づいたときにはコップから溢れていて、どうしようもなくなって、「なんで、こんなことも我慢できないの?」って自分でもびっくりするくらい、涙とともにイライラが噴き出す。

本当は、ちゃんと心の欲求があるのに、感情を後回し。それで本当の自分の声が聴こえなくなっちゃう。

あれ食べたい→「でも太るから我慢しよう」

家事やりたくない→「でもわたしがやらなきゃ」

疲れた休みたい→「まだ大丈夫」

こうした欲求、疲れ、違和感。ダメなことじゃなくて生きている証なのに、「サボる」「甘える」「だらしない」って言葉で、きつく自分を縛ってしまう。

だから頭に一瞬でも”やりたい”って欲求が浮かんだら、思考を挟まず0.3秒でGO!するの。

あれ食べたい→「ちょっと買ってみよう」

家事やりたくない→「今日は手抜きしよ!それもOK」

疲れたな→「横になろう、その方が今日のわたしらしい」

うん、”わたしらしさ”は変わる部分、変わらない部分、どちらもある。疲れたら休む、それが今日のわたしらしい。明日は元気に外出する、それがわたしらしい。どっちも、わたし。

”ねばならない”よりも「わたしらしい」を選ぶ。”正解”よりも「今日のわたしにちょうどいい」を選ぶ

心を殺して本音にフタして、感じたことも気づかないフリして

20代で一人暮らしをしていたとき、過食症状はピークでした。人目があると緊張して厳しく自分を監視するので、家でひとりになると爆発しちゃうの。いま振り返ると、外で仕事したり人と会っているとき、相当我慢していたんだね。

心を殺して本音にフタして、感じたことも気づかないフリして。わたしが間違えていて、周りが正しいのだと言い聞かせて。いつのまにか、自分が消えて変わりにインストールした”だれか”に乗っ取られてしまった。

うん、しんどかったね。

不安な気持ちを聞いてほしかったのに、言えなかった

できなくて悔しい気持ちを吐き出したかったのに、平気なフリした

もう無理って休みたかったけど、走り続けた

だれかに頼りたかったのに、ひとりで抱えた

ぜんぶ、ちょっとした我慢だと思った。「これくらい」って心の声を真剣に聞こうとしなかった。

それよりも、責任を果たさなきゃ、成果を出さなきゃって。もうとっくに限界だった、言葉でSOSが出せない代わりに、身体が”過食”というかたちで表現してくれていた。

いま、苦しいよ

気づいて、わたしの気持ち

これ以上、我慢しないで

身体はいつだって”本当の限界”を知っている。

はぁぁぁ。

年末年始で摂食障害の連載を書いて。そしたら食べることへの意識が大きく変わりはじめて。

今年の3月ごろから、大好きだったケーキやドーナツが以前のように食べられなくなり、身体が食べ物のエネルギーに敏感に反応するようになった。

それって、もう我慢する必要がなくなったから?