理想の自分を追いかけて、置き去りにしていたもの

理想の自分になりたくて。
仕事を通して、能力や評価を求めてきた。

ちゃんとできる人になりたかったし、「すごいね」って言われたかった。

だけど、がんばっても、がんばっても。

心は満たされるどころか、
孤独感や苛立ち、寂しさが増していく気がしていた。

評価されるほど、

「欲しいのはコレじゃない」
「みんな、わかってない」

そんな思いが強くなっていった。

何度も「もうムリ、働きたくない」と思ったけれど。

完全に無職になって何もしない、という選択肢は、なぜか一度も浮かばなかった。

止まるのが、怖かったんだと思う。

本当に満たしたかったのは

振り返ると、高校生のとき。
唯一、自分が輝いていると感じられたのは、居酒屋のアルバイトだった。

テキパキ動けて、感謝されて、必要とされて。

でも、本当に満たしたかったのは――

勉強についていけない戸惑い。
部活でレギュラーになれない悔しさ。
オシャレで可愛くてキラキラした友達への憧れ。

そして、

トラブルを起こした母への失望。
母をそんな状態にした父への怒り。
変わってしまった家族への混乱。

あのときのわたしは、
自分に起きていることを言葉にできなかった。

だから、気持ちの存在にも気づけなかった。

ただひたすら働くことで
自分を保とうとしていたんだと思う。
それしか術を知らなかった。

本当に欲しかったのが「気持ち」だったなんて。
そんな発想、なかった。

(もちろん、楽しくて夢中になった部分もある)

心と体がつながった瞬間

転機になったのは、バイロン・ケイティ・ワークを体験したこと。

人と接しているときの、自分の反応を、びっくりするくらい生々しく体感した。

人を思い浮かべるとき、
以前はぼんやりした写真のようなイメージだったのに、いまは、胸の奥や胃のあたりに、ずしんと現れる。

家族、上司、同僚、友達、元彼。
苦手だった人、嫌いだった人。
お店で少し話しただけの店員さんまで。

みんな、みんな。
胸の中心でそっと抱きしめるように思い出せる。

内臓のあたりが石みたいに重くなって、でもどこか生温かくて、妙にリアルで、涙が止まらなかった。

たくさん愛されていた

両親を全否定して、
「あの人たちとは関わらない!」と思っていた時期もあった。

でも、心と体がつながったときに出てきたのは、

受け入れられていた
支えられていた
たくさん愛されていた
いまも、愛されている

そんな気持ちだった。

その感覚を裏付けるように、忘れていた記憶がぽつぽつ蘇ってきた。

頭で理解するんじゃなくて、
体ごと、思い出す感じ。

ああ、
心と体が、やっとつながったんだ。
わたしはずっと愛されていたんだ。

そう思えた瞬間、胸の奥がふっと静かになった。

いまは、とても穏やか。

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この記事を書いた人

心のこと、人間のこと、見えない世界を研究するのがライフワーク。
「自然体で自分らしく生きるとは何か」というテーマで日々実験中。

くまのプーさん、ジブリ、カフェ、開放感のある静かな場所が好き。
ゆるグルテンフリー。ペスカタリアン。
埼玉生まれ埼玉育ち