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「ふわふわスピリチュアル」と「地に足ついたスピリチュアル」の違いとは

ヒーラーのモモです。

ずーっと気になっていたんだけど、「ふわふわスピリチュアル」ってなに???

たまに目にしますよね。

ふわふわして地に足つかないスピリチュアルは良くない。ゆるふわスピリチュアルは卒業しよう。

って警告。

具体的にどんな状態が”ゆるふわ”とか”ふわふわ”と表現されるのかな・・・と思ったので、わたしなりに考えてみようと思います。

わたしがスピリチュアルを採用する理由

現実的な行動が伴えば、地に足ついたスピリチュアル!?

スピリチュアルといってもジャンルは幅広く、宇宙人、天使、神、過去世、アカシックレコード、オーラなど。対象はさまざま。

どのジャンルが対象であっても、信じるか信じないかは個人の自由。そして、活用方法も自由だと思います。

興味があって、シンプルに「情報収集するだけで楽しい」「雑学として知識を仕入れるのが面白い」っていう人もいると思います。

ここでよく言われるのは、「スピリチュアルにハマって行動が伴わないのはNG」ってやつ。じゃあ、実際の行動が伴えば、地に足ついたスピリチュアルなの?

セミナーや講座の受講が行動すること?

セミナーや講座を受講する、セッションを受ける、といった”行動”があれば地に足ついたスピリチュアル?いやいや、セミナーや講座受けても、現実が変わらない人もいる。

セミナーや講座、セッションを受けるという”行動”を取ったとしても、「現実的な行動」に活用しなければ意味がないんだよ。って言われると思う。

それなら「現実的な行動」ってなに?

五感をフル活用して暮らしを整える

わたしは、頭のなかだけで自己完結するのではなく、五感をフル活用して日常を送ることが”現実的な行動”だと思うのです。

手足を使う、口と目を使う。肉眼で視える世界、視えない世界、どちらも大事にする。

たとえば、「やりがいのある仕事がしたい」とか「イライラせず余裕をもって生活したい」とか、お客様からも聞くことが多いです。

そうなったとき、天使のメッセージを聞いたり、オーラリーディングで魂のブループリントを知るだけでなく、部屋の掃除をする。夕飯作る気力がないなら、せめて使った食器に感謝しながら片付ける。

仕事が終わって寝る前にダラダラ動画を見ずに、5分でいいからジャーナリングする。ゆっくりお風呂に浸かって、身体に「ありがとう」と声をかけながらマッサージする。

朝起きたら朝日を浴びながら深呼吸して、新鮮な空気の匂いを嗅いでみる。

こうやって暮らしを整えるだけでも、だいぶ変わるものです。

血の通った生身の人間と向き合う

身の回りを整える習慣ができたら、今度は生身の人間と向き合う。

知り合いに本音をぶつけるのが怖かったら、すれ違う人全員に「ありがとう」と心のなかで声をかけてみる。できそうなら、話しやすい人から「じつはね・・・」って隠してた本音を伝えてみる。

慣れてきたら、親やパートナー、上司や同僚など近しい人に「本当は寂しかった」とか「じつは悔しかった」とか、正直な気持ちを打ち明けてみる。

血の通った生身の人間と向き合うプロセスでは、自分の不甲斐なさに落胆するし、後悔に押しつぶされそうになることもある。リラックスとは程遠い、居心地の悪い感情が続くこともある。

それでも、溜まりに溜まった毒素が抜けると、体重5キロくらい減ったんじゃないかと思うくらい心身軽くなるし、感謝の気持ちも湧いてくる。

生きることへの安心感が増して、それまでとは違った視点で物事を見れるようになるし、根本的な行動のモチベーションが変わるから、起こる現実も180度変わる。

これは、わたし自身の経験と、クライアントさんの様子を見ていて感じていることです。

”3歩進んで2歩下がる”ような道のりだけど、ふと振り返ったとき、「よくやったな」って自信につながるんです。

根気強く取り組んでいるクライアントさんから、定期的にセッションで近況報告を伺うのですが、本当にすごいと思う。

ご本人は「同じところをグルグルしてる」と感じているかもしれないけど、それこそ雰囲気が柔らかくなったり、発言にエネルギーが乗って頼もしく見えたり。そういう変化ってたくさんあるんですよ。

”ゆるふわ”で”ふわふわ”なスピリチュアルが好きでもいいと思う!

わたしは「知識を集めるのが好き」とか「そこまでガチじゃないけど好き」っていう人も、スピリチュアルを語ってもいいと思うのですよ。

精神性とか霊的な成長スピードは人それぞれ。

天使が好きで興味があるけど、セミナーや講座に行くほどじゃない。個人ワークは時間があればやるけど、正直あまり手をつけられていない。

天使のことを考えるだけでワクワクするし、天使グッズに囲まれていると幸せ。それだけでも十分満たされるんだよな~

って人もいると思う。

なのに、「スピリチュアルを語るなら、現実的で地に足ついてなきゃダメ」みたいに感じてしまって、思うように行動できていない自分を責めちゃう。そんな必要ないですよ。

わたしもね、米粉のお菓子作りが好きで、よくパウンドケーキやクッキーを焼きます。

でも趣味なので、詳しい技術や仕組みはわかりません。配合とか焼き時間とか毎回工夫して、どんな結果になるのか研究するのが楽しいだけの”ゆるふわ”お菓子作りです。

SNSで流れてくるレシピを「今度やってみよう」と思ってスクショするものの、全然実現できてないし、

お菓子作り教室にも通ってないし、レシピ本は写真がおしゃれで眺めているだけで満足しちゃって、現実的な行動が伴っていない”ふわふわ”な趣味です。

じゃあ、「お菓子作りやってます」って言っちゃダメかって、そんなことないですよね。

すべての人がプロのパティシエを目指しているわけじゃないし、お菓子作りの楽しみ方も人それぞれ。ガチ勢からしたら「邪道だ」「おままごとだ」って言われるかもしれないけど、にわかでもいいじゃん。

とはいえ「地に足ついたスピリチュアル」は試す価値あり!

わたしは、スピリチュアルを食わず嫌いしていた、”アンチスピ”時代があります。

スピリチュアルって聞いただけで、よく知らないのに

  • 現実逃避した脳内お花畑
  • 自分に都合の良いことだけ採用している
  • 努力を放棄して甘えている
  • 依存して抜け出せなくなる

なんて、どこかの宗教を妄信した信者にでもなるのかってくらい、「その世界だけは、ぜっっったいダメ!!!」って思っていました。

占いとかスピリチュアルって”怪しい”の代表格じゃないですか。一度足を踏み入れたら、正気を失って二度と抜け出せなくなるのかと思ってた。

モモ

どんだけステレオタイプな見方だよ!

自分の内側にある感覚を信じて採用する

いまでは、スピリチュアルを本気で実践している人ほど、日常生活を丁寧に整えて、現実的なことをきちんと対処していると知りました。

スピリチュアルを採用しようと思うと、必然的に自分の内側にある”感覚”を信じて、採用することになります。

  • プレアデス星人だった記憶がある
  • 亡くなった人とコンタクトを取った
  • 天使や龍と会話した
  • 過去世でヨーロッパの町娘だった記憶が蘇った
  • 妖精を見た

などなど。

他人に話せば「気のせいじゃない?」とか「頭おかしくなったの?」なんて白い目で見られる可能性に怯えながら、それでも自分が感じたこと、考えたことを信じて受け入れる。

サイキックアビリティ(霊能力)に関しても。

心理学、生物学、薬学、物理学といった、○○大学の先生によるお墨付きのような外側の基準じゃなくて、「わたしは感じている」「そんな気がした」っていう、内側の基準を採用するのって、はじめは勇気がいるし怖いもの。

それでも!

他のだれでもなく、自分が受け取ったものを「たしかに感じている」「わたしがそう感じた」っていう、主観を大事にして行動してみると、自分軸ができるし、自信もついてくる。

気のせいだよ

気にしすぎだよ

考えすぎじゃない?

普通そこまで気にしないよ

あんまり考えすぎないで

そうやって言われ続けて、自分の感覚が信じられなくなり、自分のことも分からなくなり、生き方がわからなくなっているなら。

  • わたしが感じたことは間違ってない
  • わたしは、ちゃんと受け取るべきものを受け取っている
  • わたしがそう感じた、それだけで採用する価値がある

理論的に説明できなくても、証拠を提示できなくても、「わたしが感じた」ことを大事にして。

自分の気持ち、感覚に正直に生きてみる。そういう地に足突いたスピリチュアルを実践していくと、どんどん生きやすくなるからオススメ。

スピリチュアルとの関わり方は人それぞれ

スピリチュアルとの関わり方は人それぞれ。

もしかしたら、スピリチュアルにハマって大金つぎ込み、生活できなくなった人は「やっぱりスピリチュアルはダメだ!」って思うかもしれない。でもそれは、活用方法やタイミングが違っただけで、スピリチュアルそのものは中立だと思う。

ガチ勢にならなくても、”ゆるふわ”でもいいし、本気で人生変えたいと思うなら、地に足ついた現実的な行動もトコトンやってみる。

そんな風に付き合ってみるといいと思います。

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